バプテスマを受けないことの勧め

Ⅰペテ 3:21 この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救うバプテスマの型なのです。バプテスマは肉の汚れを取り除くものではありません。それはむしろ、健全な良心が神に対して願い求めることです。

  クリスチャンになったとき,人はバプテスマを受けます.しかし,誤解してはいけないのは,バプテスマを受けたからクリスチャンになるのではなく,クリスチャンになったからバプテスマを受けるのだということです.

 バプテスマを受けることは救いの立場を得るための条件ではありません.イエス・キリストを信じることで人は救われるのであって,そこにいかなる行いも要求されません.バプテスマもその例外ではなく,バプテスマを受けたから救われるということはないし,受けなかったから救われないということもありません..ただ,クリスチャンになったらバプテスマは当然受けるべきものではあります.

 引用した箇所では,「救うバプテスマ」と書いてありますが,第一ペテロで言っている救いとは,救いの立場を得ることではなく,既に救いの立場を得たクリスチャンが地上の生涯を全うし,キリストの再臨のときにその報いを受けるということを指しています.ですから,バプテスマはあくまで既に信じ救われたクリスチャンにだけ関わりがあることであって,まだ信じていない人にとっては,なんの関係もない儀式です.

 ですから,もしまだ心からイエス・キリストを信じていないのであれば,決してバプテスマを受けてはいけません.一度バプテスマを受けてしまったら,周りの人はその人をクリスチャンとして扱ってしまいますから,もう一度まだ信じていな人に対してするように福音を伝えることはとても難しくなってしまいます.

 信じていないのに,救われていないのにバプテスマを受けてしまうということは実際にあります.それはまったく取り返しがつかないということではありませんが,修正するのは大変困難です.バプテスマを受けようとする前に,自分が本当にイエス・キリストを信じているのか,正しく受け入れているのか,よく考えて見る必要があります.

 福音集会に長い間通っていると,周りのクリスチャンもうっかり勘違いして,この人はこれだけ長く福音を聞いているのだから,そろそろ福音が分かってきたのではないか,と思ってしまうことがあります.場合によってはもう殆ど信じているだろう,という意味不明な判断をしていることもあります.

 しかし,福音集会に長い間出席していれば自然に福音がわかるわけではないし,まして信じられるようになるわけではありません.10年,20年,30年と福音を聞き続けていても,分からない人は分からないし,信じられない人は信じられないのです.ですから,自分はもうこれだけ福音を聞いてきたのだから,バプテスマを受けてもいいのではないか,などと思っては絶対にいけません.周りの人にバプテスマを勧められても,安易に受け入れてはいけません.福音が分からないのなら,信じられないのならば,バプテスマを受けてもなんの意味もないのです.